当院のご案内

病院概要・沿革

青洲会病院概要

開設年月日 1984年5月16日
院長 常光 信正
診療科目 内科・外科・泌尿器科・整形外科・脳神経外科・胃腸科・リハビリテーション科・放射線科
病床数 183床
職員数 医師(常勤)5名
非常勤医師常勤換算(研修医含む)7.15名
看護師・准看護師107名・看護助手〈ケアスタッフ〉35名
薬剤師3名・臨床検査技師3名・臨床工学技士3名・診療放射線技師4名
PT21名・OT12名・ST4名・管理栄養士3名・事務職28名
社会福祉士2名・その他1名

2024年4月現在

主な設備機器 放射線科
MRI(1.5T)装置・80列マルチスライスCT・外科用イメージ・一般撮影装置・X線テレビ撮影装置・PACS・骨密度装置

血液検査室
血液ガス分析装置・生化学自動分析装置・自動血球計数器・
ヘモグロビンA1c・顕微鏡・血液凝固測定装置・血糖測定装置 

生理機能検査室
超音波心臓断層装置・超音波腹部断層装置・心電計・脳波計・PWV/
ABI・肺機能測定装置・24時間心電計・眼底カメラ

ICU 、リハビリテーション室 、デイケアセンター 、人工透析室 、高圧酸素治療室
手術室(2室) 、人工空気設備
認定施設
指定取得状況
日本外科学会専門医制度修練施設(関連施設)
臨床研修協力病院
救急告示病院・へき地医療拠点病院
・(社)全日本病院協会・人間ドック実施指定施設
・リハビリテーション専修学校実習指定病院
施設基準取得状況 急性期一般入院料4 (50床)
療養病棟入院基本料(2) (109床)
回復期リハビリテーション病棟入院料3 (24床)
(休日リハビリテーション提供体制加算)
救急医療管理加算
機能強化加算
診療録管理体制加算3
医師事務作業補助体制加算1 30:1補助体制加算
急性期看護補助体制加算25:1 看護補助体制充実加算2
看護職員夜間配置加算 16:1配置加算
療養病棟療養環境加算1
療養病棟療養環境加算2
感染対策向上加算2 サーベイランス強化加算
医療DX推進体制整備加算
後発医薬品使用体制加算1
データ提出加算2,4
入退院支援加算2 入院時支援加算
認知症ケア加算3
せん妄ハイリスク患者ケア加算
看護職員処遇改善評価料 27
夜間休日救急搬送医学管理料の注3に掲げる救急搬送看護体制加算2
がん治療連携指導料
薬剤管理指導料
医療機器安全管理料1
別添1の「第14の2」の1の(3)に規定する在宅療養支援病院
在宅時医学総合管理料及び施設入居時等医学総合管理料
検体検査管理加算(Ⅱ)
CT撮影及びMRI撮影(当院は80列マルチスライスCT、1.5テスラのMRIを有しています)
脳血管疾患等リハビリテーション料(l)
呼吸器リハビリテーション料(l)
運動器リハビリテーション料(l)
人工腎臓(慢性維持透析を行った場合1)
導入期加算1
透析液水質確保加算 及び慢性維持透析濾過加算
ペースメーカー移植術及びペースメーカー交換術
医科点数表第2章第10部手術の通則 16に掲げる手術
酸素単価
入院ベースアップ評価料32
外来・在宅ベースアップ評価料(Ⅰ)
療養病棟入院基本料 注13看護補助体制充実加算1 経腸栄養管理加算

青洲会病院の沿革

昭和59年5月 青洲会病院開設(100床)、(長崎県平戸市田平町)
昭和61年7月 青洲会病院託児所開設(24時間)
昭和62年4月 医療法人青洲会認可
平成5年1月 特定医療法人認可
平成11年10月 青洲会デイケアセンター認可(40名)、(長崎県平戸市田平町)
平成12年3月 青洲会病院新館開設
平成12年3月 血管造影撮影装置(DSA)導入
平成12年3月 MRI(1.0T)更新
平成14年7月 PWV(脈波伝播速度)導入
平成15年4月 CR装置導入
平成17年3月 超音波装置更新
平成17年11月 マルチスライスCT(16列)更新
平成20年3月 X線テレビ撮影装置(FPD搭載)更新
平成20年3月 骨塩量測定装置(DXA法)導入
平成20年4月 眼底カメラ更新・PACS導入
平成22年7月 回復期リハビリテーション病棟開設
平成23年10月 社会医療法人認可
平成24年7月 療養病棟24床増床し、50床(全体で124床)
平成26年1月 MRI(1.5T)更新
平成27年10月 療養病棟59床増床し、全体で183床
平成30年6月 CT入替え(80列、キャノン)
骨密度測定装置 更新
令和1年7月 電子カルテ稼動(富士通)
令和3年1月 病院玄関サーマルカメラ設置

写真でみる青洲会病院の歴史

1. 青洲会病院 昭和59年当時(当時の合い言葉は「いつでも どこでも だれにでも」
2. どこでも(往診船)
3. だれにでも(訪問看護)
4. ICUの開設(地域の皆さんの健康と福祉の増進を目指して)
5. 健康教室を続けた
6. 当時の「健康祭」

当時から、寝食忘れた職員の活発な活動の源は、「地域との強いつながり」だった。

7. fish哲学との出会い